●氏名 花倉直樹 (はなくら なおき)

●性別 男

●生年月日 1972(昭47)年5月4日(52歳)

●職業 会社員

●出身地 千葉県四街道市(よつかいどうし)

     地元出身の主な有名人は、
     ・皆藤愛子(タレント)
     ・長谷川朝晴(俳優)
     ・中原めいこ(シンガーソングライター)
     ・飯塚悟志(お笑いタレント。東京03)
     ・太田莉菜(モデル)
     ・花香芳秋(お笑いタレント)

     ・志位和夫(日本共産党中央委員会議長)

     県都・千葉市に隣接するベットタウンで、ガス灯の設置数(228本)が日本一だったという
     ことだけが唯一の自慢の田舎町です。
     1981(昭和56)年4月1日に市制施行。印旛郡四街道町から四街道市となりました。
     特産物は、梨、落花生、いちご、卵など。町外れには養鶏場が沢山あります。
     2003(平成15)年2月に千葉市との合併の是非を問う住民投票が行われ、合併推進派
     が過半数を占めたため、合併に向けた法定協議会が設置され、合併は実現するかに思われ
     ましたが、2004(平成16)年5月16日に合併を決定する最終的な住民投票が実施され、
     反対多数で合併は白紙に。
     数年にわたる合併騒動は一体何だったんでしょう。(合併後の名称は「千葉市四街道区」で
     決定していました)
     なお、非常に地味な街なので、同じ千葉県の人に「四街道市の出身なんです」と言うと
     「え?どこ?」と言われてしまうくらいマイナーな街です。
     また、「ああ知ってるよ。茨城県でしょ?」と言われたことも何度か。
     あの〜それは水海道市(みつかいどうし。現:常総市)なんですけど。。。(-_-;)

●経歴

1972(昭和47)年 5月 北海道旭川市にて出生。その後、東京都豊島区、東京都東村山市へと転居。
1975(昭和50)年 3月 両親のマイホーム購入により、千葉県印旛郡四街道町(現:四街道市)へ転居。
1979(昭和54)年 4月 四街道市立中央小学校入学。
1985(昭和60)年 3月 同校卒業。
            4月 四街道市立四街道中学校入学。
1987(昭和62)年 4月 生徒数増加に伴い、新設された四街道市立四街道北中学校へ転入。
1988(昭和63)年 3月 同校卒業。
            4月 東海大学付属望洋高等学校(現:東海大学付属市原望洋高等学校)入学。
1991(平成 3)年 3月 同校卒業。
            4月 東海大学文学部北欧文学科(現:文化社会学部北欧学科)入学。
               実家を離れ、神奈川県平塚市へ転居。公認サークルの「旅行研究会」に入会。
               書記局副局長 1991(平成 3)年11月〜1992(平成 4)年10月
                   会長 1992(平成 4)年11月〜1993(平成 5)年10月
                  副会長 1993(平成 5)年11月〜1994(平成 6)年10月
                 OB会長 1996(平成 8)年12月〜2001(平成13)年11月
1995(平成 7)年 3月 同校卒業。
               大学卒業に伴い、千葉県四街道市へ戻る。
2000(平成12)年 8月 民主党(現:立憲民主党)に入党。党員となる。
               2000(平成12)年8月〜 民主党千葉総支部連合会(千葉県第9区)
               2008(平成20)年8月〜 民主党東京都総支部連合会(東京都第7区)
               2009(平成21)年5月〜 民主党千葉県総支部連合会(千葉県第6区)
               2016(平成28)年5月〜 民進党千葉県総支部連合会(千葉県第4区)
               2018(平成30)年6月〜 国民民主党千葉県総支部連合会(千葉県第4区)
               2021(令和 3 )年4月〜 立憲民主党千葉県総支部連合会(千葉県第4区)
               2023(令和 5 )年5月〜 立憲民主党千葉県総支部連合会(千葉県第14区)
2002(平成14)年 6月 千葉県市川市へ転居。
2006(平成18)年 4月 東京都中野区へ転居。
2009(平成21)年 3月 マンション購入に伴い、千葉県市川市へ転居。
2014(平成26)年 1月 マイホーム購入に伴い、千葉県船橋市へ転居。
2017(平成29)年 7月 結婚。
2018(平成30)年11月 日本城郭検定4級合格
2019(令和 1)年 6月 日本城郭検定3級合格

1.誕生〜小学校〜中学校

日本電信電話公社(現:NTT東日本)に勤める父(岐阜県郡上市(旧郡上郡八幡町)出身)、専業主婦の母
(北海道旭川市出身)の第一子(長男)として北海道旭川市にて誕生。
ちなみに「直樹」という名前は父親が俳優の杉浦直樹氏のファンであったことから名付けられました。
旭川市で生まれたのは母親が里帰り出産をしたためで、旭川市は出身地ではなく「出生地」です。。
1歳まで東京都豊島区、2歳まで東京都東村山市に在住。(当時は父親の勤務先の社宅に住んでいました)
両親のマイホーム購入に伴い、千葉県印旛郡四街道町(現:四街道市)に1975(昭和50)年3月に転居。
幼稚園の時に大病(紫斑病)を患い、医師から「治らないかもしれませんので覚悟はしておいて下さい。」と
言われるも、奇跡的に完治しましたが完治までに通院治療で3年ほどかかりました。
病気をした影響で子供の頃は泣き虫で内向的な子供でした。
病気になった時に様々な人に助けてもらったので、「人の役に立ちたい」と思い、医師か警察官になることを
夢見ていました。
事実上の生まれ故郷となるこの街で、成績も運動も平凡というごくごく普通の少年時代を送りました。
小学校時代は町内のソフトボールチームに4年間在籍しましたが、最後まで控え選手でした。。。(-_-;)
中学時代は軟式テニス部に所属。この頃が勉強にスポーツに一番打ち込んだ時期かもしれません。
高校進学を控えた頃、成績が伸び悩み、理数系が全くの苦手で数学に至っては学内で下から3番目の点数を
取った事もあります。(因みに高校受験時の偏差値は国語・英語が60〜63、数学の偏差値は37〜40でした)
将来の夢もはっきりしない中、どうしても大学に行きたい!という思いが強く、確実に大学に行ける付属高校に
行こう!という何とも安易な思いで希望校を探しました。。。(笑)
当時、大好きだった読売ジャイアンツのスター選手、原辰徳氏(当時は巨人ファン、というより原辰徳ファンでした)
の母校、東海大学に憧れ、当時はまだ県内では無名に近かった東海大学付属望洋高等学校(現:東海大学付属市原望洋
高等学校)の受験を決意。
地元・千葉県では公立高校至上主義、私立は公立に落ちた人が行くものだ、という風潮の中で私立高校を希望する
ことは勇気のいることでしたが、「何で私立?」と渋る親と担任教師を無理やり説得。1日8時間の猛勉強の末、
合格することが出来ました。

2.高校〜大学

前身は精華学園女子高等学校という女子校(主なOBに歌手の美空ひばりさん、女優の小川知子さん)になります。
1974(昭和49)年に東海大学の系列校となり東海精華女子高等学校、1977(昭和52)年に東海大学精華女子
高等学校、1986(昭和61)年に男女共学となり東海大学付属望洋高等学校となりました。
(2016年4月に東海大学付属市原望洋高等学校へ校名変更)
私は3期生(共学3年目に入学)となります。
(なお、私の在籍時は学校法人精華学園が運営するいわゆる「系列校」でしたが、現在は東海大学に統合され、名実共に
「付属校」となりました。)
念願の志望校への進学を果たし、男子テニス部に所属。勉強にスポーツに充実した3年間でした。
3年生の時には建学祭実行委員会副委員長を務めました。(東海大学では学園祭を「建学祭」と呼びます)
この頃はマスコミ系の仕事に就くことを考えていました。
千葉県市原市の山奥にあるこの高校で過ごした3年間は今でも楽しい思い出として残っています。

【高校時代の私】


大学野球の名門・東海大学の系列校の中で「甲子園に行ってない高校」と言われ肩身の狭い思いをしてきましたが、
2010年の第82回選抜高校野球大会で関東代表として念願の初出場を果たしました。
夏の甲子園は千葉県大会の決勝戦で3度(2001年、2008年、2010年)に渡り涙を飲みましたが、2014年の
第96回全国高校野球選手権大会の千葉県大会決勝で専大松戸を破り170校の頂点に立ち、千葉県代表として
初出場を果たしました。

<甲子園での戦績>
【春】
第82回選抜高校野球大会(2010年) 1回戦 東海大望洋2-9大阪桐蔭
第89回選抜高校野球大会(2017年) 1回戦 東海大市原望洋2-6滋賀学園
【夏】
第96回全国高校野球選手権大会(2014年) 2回戦(初戦) 東海大望洋3-5城北

夏の甲子園初出場決定(2014年7月26日)
  

高校1年生の1月に元号が昭和から平成へと変わり、消費税が導入されました。
そして日本中に激震が走った「リクルート事件」。世の中が騒然とし始め、政治に興味を持ち始めました。
なお、当時の支持政党は日本社会党(現:社会民主党)でした。
自民党支持者のクラスメートと「消費税は是か非か?」などと議論をよく交わしていました。
平成元年の参議院議員選挙で社会党が大勝利し、土井たか子社会党委員長の「山が動いた」という歴史的名文句
に狂喜乱舞していたのですから今思えば変わった高校生でしたね。
(思想的には「自衛隊違憲、憲法改正反対、消費税廃止」と完全に左派でした)
成績は「中の中」と平凡。中学の時と同様に理数系が全く苦手で足を引っ張ってくれました。。。(-_-;)
大学進学を控え、法律学、政治学、社会学の専攻を希望するも残念ながらかなわず、文学部北欧文学科(現:文化
社会学部北欧学科)へ進学しました。
(専攻はノルウェー語、デンマーク語、アイスランド語の3ヶ国語。卒論テーマは「北欧における封建制の推移」
でした。)
親元を離れ、人生最初の一人暮らしを神奈川県平塚市で始めることとなりました。
サークルは強引な勧誘を断り切れず「旅行研究会」に入会し、最後は何と会長まで務める羽目に。。。(-_-;)
勉強もろくにせず、1年中旅行と麻雀に没頭していました。
それでも政治に対する興味はあったようで、1992(平成4)年の通常国会(通称:PKO国会)の社会党の
牛歩戦術をテレビで見ながら「徹底抗戦だ、妥協するな!」と叫んでいたのですからやはり変わり者ですね。
そろそろ人生の進路を決めなければ・・・という時に「流通革命」を唱えるダイエーの中内功会長兼社長(故人)
に心酔し、ダイエーの入社試験を受験することを決意。
しかし、バブル崩壊が私を襲い。。。人並み以上に就職活動をした自負はありましたが、何せ当時は就職氷河期。
(後に我々の世代は「ロストジェネレーション」などと有難くない名称を付けられる)
夢にまで見たダイエーの入社試験は大学名で門前払いという最悪の結末に。
(ダイエーグループの合同セミナーに参加して終了。その後は入社試験について電話で問い合わせても全く相手にして
もらえませんでした。。。(>_<))
そのダイエーは2004年に産業再生機構の傘下となり、事実上の国営化。その後イオングループへ。一体私の苦労は
何だったんでしょうね。(イオンも縁故がない、という理由で門前払いされましたが。。。)
ちなみに入社試験でお決まりの「首相の名前をフルネームで書きなさい」という問題も、就職活動中に総理大臣が3回
も交代するいう笑い話のような出来事も経験しました。(宮澤喜一⇒細川護熙⇒羽田孜⇒村山冨市)
今思えば氷河期という不運もありましたが、就職運が元々なかったんでしょうね。
最後の1年は辛い思い出ばかりでしたが、トータルすれば楽しい4年間でした。

3.社会人

卒業後は自動車販売会社へ就職。全く希望していなかった仕事のため、1年で退職。
政治家になることを考え、2000年8月に民主党(現:立憲民主党)へ入党。選挙の手伝いなどをたまにしており
ましたが、結局政治家になることは断念しました。
その後、何度か転職をしましたが、ごく普通のサラリーマンとして日々を過ごしています。

●所属
立憲民主党
未来クラブ(衆議院議員・野田佳彦後援会)
筍山会(千葉県議会議員・野田剛彦後援会)

●支持政党の推移
日本社会党→日本新党→新生党→新進党→民政党→民主党→民進党→国民民主党→立憲民主党

●趣味
旅行(史跡巡り)、プロ野球観戦(千葉ロッテマリーンズ)、Jリーグ観戦(柏レイソル)、
大学野球/大学ラグビー観戦(東海大学)、高校野球観戦(東海大市原望洋)

●尊敬する人
原辰徳、上杉謙信、中内功

●座右の銘
ねあか、のびのび、へこたれず
人間万事塞翁が馬